星野源「いのちの車窓から」を読んで

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星野源の存在を知ったのは、映画「モテキ」のなかで楽曲が使われていたからだ。それは「ばらばら」という曲で、映画のシーンにもマッチして印象に残る曲だった。それからいくつかのアルバムを借りて、たまに聴く、というライトなファンとなった。

彼が文筆業でも成功していると小耳には挟んでいたが手を出す機会はなかった。そして2017年の春間近、この「いのちの車窓から」というエッセイ集が発売された。本屋に平積みされているのを何度か目撃し、ついにこらえきれずに買ってしまった。

読んでみると、彼が出会った人のこと、日常の面白い出来事がつづられていた。最初の2,3つのエッセイを読んで、「日常の出来事をおしゃれにかっこよく書いてみました」的なにおいを感じて、こんなものなのか、買って損したかも、と半ば残念に思っていたが、読み進めると印象は変わった。

まず「文章」というエッセイ。これによると、昔彼は文章を書くのがどうしようもなく下手で、それを克服するために文章を書く仕事を探し、今では自分の感じたことを的確に文章にし人に伝えることができるようになったと書いてある。とても親近感が沸いた。私も文章を書くことに苦手意識があるのだ。いや、文章というよりは自分の感じたことを人に伝えることに苦手意識がある。・・・いや、最近は自分が感じたことが何なのかもわからなくなっている。いつからかさまざまな情報を受け取るだけで、それについて自分がどう思うか立ち止まって考えることが面倒になってしまったようなのだ。だから文章を書くことを仕事にして嫌でも文章を書き、ついには苦手を克服してしまった彼をとても尊敬してしまった。

その他にも共感した部分はある。「人見知り」というエッセイでは、彼が初対面の人に対して「人見知りなんですよ」と言っていたのだが、ある時それは「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気をつかってください」と宣言していることと同じだと気付いた、というのだ。どきりとした。私は「人見知りです」と宣言することはないが、コミュケーション下手ではあると思っている。何人かで話していて場がしんとなった時、間をもたすことができない。ほかの人に任せて自分は沈黙を保つことに徹してしまう。

完璧な人より、どこか抜けている人、苦手なものがある人の方が人間味あって自分の身近に感じられるのではないだろうか。彼の苦手な部分、そしてそれを克服しようと努力したことを知り、一気に彼自身や彼の文章が好きになった。

そして私も彼のように自分が感じたことを正しく誰かに伝えられるようになりたい、文章が書けるようになりたいと思った。

そうしてまずはこの記事を書こうと思ったのだ。